セイコ・ソングス17〜「Vacancy」

The 9th Wave
 突然の豪雨と激しい気温の変化に翻弄された今年の晩夏。しかしその裏で季節は静かに、着実に進んでいたようで、今朝、開け放った窓から吹き込む冷ややかな空気に、思わず掛布団を胸までかき上げながら目覚めると、カーテンの隙間から穏やかな朝日が溶けて澄み切った秋の青空が見えたのね。こんな、秋の朝が、俺はとても好き。
 しかし今回は行く夏を惜しんで!ということで、夏らしいナンバーを取り上げます(ていうか、書くのを先延ばしにしていて、秋にズレ込んでしまっただけなのよね・・・ごめんなさい)。
 「Vacancy」(作詞:銀色夏生、作曲:原田真二、編曲:大村雅朗)。清涼感に溢れた夏のアルバム『The 9th Wave』(1985年6月)のオープニングを飾っていた曲だ。ちなみに『The 9th Wave』は松本隆の手を離れ、同時期のシングル「天使のウインク」「ボーイの季節」の作詞・作曲者である尾崎亜美をはじめ吉田美奈子矢野顕子大貫妙子ら女性作家陣を大きくフィーチャーした作品集で、「Vacancy」も作曲は男性(原田真二)だが、作詞の銀色夏生さんは、れっきとした女性である。松本氏が作詞から外れた理由に関して、本人の言では「単にベクトルが合わなかった」ということらしいが、当時、独立を睨んでいた聖子サイドに松本氏が激怒していたため、との説もあるようだ。いずれにせよ、夏をイメージしたアルバムコンセプトでありながら、このアルバム全編に漂う独特の清涼感、爽やかさは、これら女性作家たちの瑞々しい感性に負っている部分が大きいようにも思う。アルバムチャートでは連続1位を守り、30万枚を超える堂々たるセールスを記録した。セイコさん結婚休業直前、アイドル全盛期の有終の美を飾った作品でもある。
 この『The 9th Wave』、いま聴くと全編曲を担当した大村氏の打ち込み系アレンジがやや時代遅れな感もあったりして、セイコさんがリリースした(80年代前半の)充実したアルバム群の中では、ファンの中でもあまり評価されていない作品集であるのも頷ける気もするが、俺にとってはCD出始めの頃、CDのクリアな音源で初めて聴いたセイコさんのアルバムでもあり、なかなか愛着のある作品なのだ。それとセイコさんの声がとても好調で、全曲どれをとってもボーカルに隙がなく安定していて、「魔法の声」を存分に堪能できるのもこの作品の魅力のひとつといえる。
 「Vacancy」は、買ったばかりのCDプレーヤーから「グイーン」と飛び出したトレーに『The 9th Wave』のCDを載せてワクワクしながらプレイ・ボタンを押したとき、最初に流れてきた流麗なストリングスのイントロ、その美しい音色にハッとし、心奪われた曲として印象深いのである。流麗なイントロがブレイクに入ったところで聖子さんの集中力たっぷりのボーカルがかぶさってくる。

 何もかも、だめですね・・・気にしてばかりで

このつかみ。このインパクトがスゴイ。詩人・銀色夏生の真骨頂。そして短い導入部のあと、曲は一気に軽快なボッサのリズムにテンポアップして、実に清々しく展開していく。炭酸にストロー、麦わら帽子を片手に眠る彼、静かなクロール、光るリーフ、夕日の反射・・・。銀色氏が繰り出す、淡い色調の静物画を見ているような印象的な言葉の数々。時折挟みこまれるストリングスのオブリガートを除いては、極限まで音の数を減らしたシンプルなアレンジ。そしてセイコさんの、力の抜けた軽やかなボーカル。そのすべての要素があいまって、まるで曲を聴いているだけで涼やかな風が吹いてくるような錯覚を覚える、そんな曲。青空、青い海、白い波、木陰のそよ風。。。そんな穏やかな夏の午後のイメージにぴったりのこの楽曲によってアルバム『The 9th Wave』の涼やかな印象は決定づけられたと言ってもいいだろう。
 松田聖子銀色夏生の組み合わせは思いのほか相性が良く、このアルバムでしか聴くことができないのが残念でならない。シチュエーションや小物のリアリティで物語を綴る松本隆氏とは一味も二味も違い、一見淡白な文章の羅列の中にところどころ、生身の人間の心を掻き乱さずにはおかない強い言葉を散りばめる銀色氏の手法。そんな銀色夏生さんの詞を、言葉の伝達力に秀でたセイコさんが歌ってくれるという、なんとも贅沢な組み合わせなのだ。

 この次の約束に困った顔したの
 夕日の反射がまぶしかったせいでしょう

この、起承転結の「転」で終わるような曖昧さを残す独特の歌詞と、基音に終結しないAメロを繰り返したまま、アウトロに突入し、アルトサックスのきらびやかなアドリブが鳴り響いたままフェード・アウトするエンディング、これもまた聴き所。まるで、どこからともなく風が吹き、頬をかすめて通り過ぎていくような、魅力的なエンディングになっている。
 ちなみに「Vacancy」はベスト・アルバム『BIBLE3』にも収録。