歌姫の失われた90年代・セイコ編〜その2

 昨日のつづきを。
 アキナの90年代を振り返ったとき、レコード会社移籍のドサクサで濫発された数多のベスト盤やカバーアルバムの狭間でひっそりとリリースされた「オリジナル・アルバム」の中に、キラリと光る「財宝」が眠っていた感じだったのね(笑)
 セイコの場合はどうかというとやはりアキナと同じで、実は昨日の日記でリストアップしたアルバム一覧には載せていない、もう一つの作品の流れがあって、そこに目を向けなくてはいけないと俺は思うのね。それは90年の『Seiko』、96年の『Was It The Future』、そして02年『area62』という、Seiko名義で6年ごとにリリースされた一連の全米発売盤のこと。
 まず前提として、セイコさんの90年代を失わせた、その主犯格は間違いなくセイコさん本人なのだろうけど、共犯者として小倉良さんの名を挙げないわけにはいかないと思うのね。92年のアルバム『1992 Nouvelle Vague』から98年の『ForeverForeverまでのアルバム曲・シングル曲、そのほとんどのクレジットが「Seiko Matsuda & Ryo Ogura」であるというオドロキ。ふたりの作り上げた世界、その中から「きっとまた、逢える・・・」や「大切なあなた」やDiamond Expression「輝いた季節へと旅立とう」、そして「あなたに逢いたくて」といったヒット曲が生まれたのは確かではあるけど、やっぱり二人が創ったアルバム曲の大部分は80年代セイコ的世界の再生産品か、あるいは流行洋楽の違法コピーばかりのような気がしてしまうのよね。Glorious Revolutionもしかすると本人たちは、たとえばユーミンやみゆきのように、そのアーティストが創り上げる世界“その世界が変わらないからこそファンに愛されるのだ”的な戦略を狙っていたのかもしれない。だからこそ、7年もの長きに亘って二人であいも変わらぬ80年代の再生産品、洋楽違法コピー品をせっせと創り続けてきたのかも。そして、ファンもそれを一部受け入れたがゆえに、先に挙げたようなヒットも生まれたのだ。それは事実だ。幸い、セイコさんの歌声は80年代後半でほぼ完成を見て以来、90年代を通じて非常に安定していたし、むしろ油が乗っていた時期だから、ファンはそれで十分満足だったのね。魔法の歌声が聴ければそれで充分。うん、たしかにそう。
 それでも、そんな国内盤のパターン化した代わり映えのしない流れだけではセイコたん自身もやっぱり満足しなかったと見えて、その合間に気合を入れた海外盤をリリースしていたような気がするのね。それこそが、セイコさんの90年代のもうひとつの顔なのだ。
 90年の『Seiko』こそ、お金はかけたけれど全体に準備不足で中途半端な印象で終わってしまった感じだったが、「セ・ラ・ヴィ」の全米ヒットを持つロビー・ネヴィルをプロデューサーに迎えた96年の作品『Was It The Future』Was It The Futureでは、セイコさんの英語力もボーカルの質もグンとアップして、正直、90年代の彼女のアルバムではピカイチの仕上がりだったと思う。全米のクラブチャートでもそこそこの成績を残したし、日本では思ったより話題にはならなかったけど、セイコさんとしてはこの作品の成果に大きな手応えを感じていたはずだ。
 そして、2002年にひっそりとインディーズで発売されたのが『area62』。area 62日本でも一部ファン以外にはほとんど話題にならなかったけれど、この作品、全米進出3度目の正直でセイコたんの開き直りとも取れる、チープでオリエンタル・ムード満点の快作!(怪作とも言えるけど 笑。)前作とは打って変わって、何のてらいも気取りもなく“インパクト”一点に絞ったヒット狙いのクラブ・ミュージックになっている。そこが妙に清々しくさえ感じられて、不思議な魅力を持ったアルバムになっている。こちらも全米のクラブチャートでヒットを記録した。
 さて、まとめに入らないとね。
 『area62』から感じ取れるセイコさんの「開き直り」。90年代以降のセイコさんを振り返るとき、俺にはそれがすべてを解くカギのような気がするのだ。セイコさんは『Seiko』での全米デビューを控えてのインタビューか何かで、たしか「アメリカのカウントダウン番組で「今週のナンバーワンは、セイコ!」と呼ばれるのが夢」なんていうトンデモ発言をしていた記憶があるのだけど(涙)、それは儚い夢に終わったにせよ、『Seiko』からのファーストシングル「The Right Combination」はビルボード総合チャートに一応ランクインを果たしたし、『Was It The Future』『area62』ともにクラブチャートランクインの実績を残して、彼女としてはそれなりに満足したのではないかと思うのね。
 そして、その海外で精一杯冒険してそこそこの実績を挙げた自信こそが、一方で「あなたに逢いたくて」のミリオンヒットなどを経て、国内での「松田聖子」はどこまでも変わらない、コンサバで中庸なアイドル・ポップスを私自身の手で作り上げていくわ!ファンのみんなのために!!というような一種の開き直りを招いてしまったのかもしれない、なんて思うのだ。21世紀に入ってから、セイコたんがカウントダウンライブパーティーをはじめとして80年代の曲を好んで歌うことになったのも、そして今となっては永久不変のセイコサウンドを追求する上での試行錯誤の過程にあった90年代の曲を一切無視し続けるのも、そんな、何かを成し遂げた女の「開き直り」のように思えて仕方ない俺なのである。
(以上、長文にお付き合い、ありがとうございました〜)