アキナの中のモモエ

A Face in a Visionフォーク・ソング~歌姫 抒情歌~ ずっと以前に、セイコとモモエのキャリアの共通点について書いた。→ここここ
 そこには、2ndシングルでのブレイク、トップスターとしての活躍期が正味8年であったこと、キイとなる作家との出会いで全盛期を迎えたことなど、多くの共通点があった。
 今回はそれを踏まえて、モモエとアキナの比較をしてみようかな、と。
 セイコはモモエの対抗軸としてのスター像を構築することによって「ポスト百恵」の地位を獲得したことになるのだけれども、それは結局、モモエのライバルであった桜田ジュンコの初期のイメージ〜明るくてピュアな女の子像〜に近づくことになった。そしてモモエの引退と同時に空席となった場所にすっぽりとはまったのが、アキナだったのだろう。つまりは良く言われることではあるが、セイコの対抗軸、アンチテーゼとして百恵的なもの〜クールさを漂わせた陰のある少女像〜を担う存在として登場したのがアキナ。つまり、アキナの登場は少なくともセイコの成功があってこそだったのであり、デビュー当初のアキナ自身も百恵に対するリスペクトを盛んに公言していたし、自分のそんな役割をよく理解していたのではないかと思う。プロローグ<序幕>AKINA NAKAMORI FIRST(紙ジャケット仕様)
 しかしだからといって、単にセイコのアンチテーゼ「=モモエ後継者」というだけでアキナがあれほどのスターに成長したというのではもちろんなく、彼女自身の運と才能と努力の結果であるのはいうまでもない。少なくとも「飾りじゃないのよ涙は」以降のアキナは、モモエの影を完全に振り払ったように思う。
 さて、そんなアキナではあるけれど、彼女の人気の全盛期はセカンドシングル「少女A」がトップテン入りした82年の後半から自殺未遂事件を起こす89年前半(シングル「Liar」の頃)までであり、ここでも2ndシングルでのブレイク、スターとしての全盛期が「8年」という点でセイコ・モモエのケースと見事に符合する。(事件後のブランクのあと、アキナの90年代は次第にアルバム・アーティスト、カバー歌手としての色合いが濃くなっていく。)BEST II(紙ジャケット仕様)
 中森明菜山口百恵は、ビジュアルのクールな印象や、低音中心の艶かしいボーカル、ツッパリ路線への展開や、歌への強い感情移入など、共通点ばかりが語られる場合が多いが、この二人、ボーカリストとしてはイメージが似ているようで、実は大きな違いがあるように思う。
 セイコがデビューからボーカリストとしてほぼ完成されていたのに対して、デビュー当初のモモエもアキナも、ボーカルは未完成で平凡だった。しかしやがてある時期から著しい成長を見せる点は共通しているけれども、モモエが非常に早熟だったのに対し、アキナは4年目「ミ・アモーレ」で女性歌手としてトップの地位を得てからも、そのボーカルはその後もどこか不安定で、試行錯誤が続いていた。トルクの重いエンジンのごとく、ボソボソと聞き取れないピアニシモ・ボイスから、一旦曲が盛り上がるや、雄叫びのようなロングトーンにいきなり展開してしまう、その極端な「フレ」の大きさは、そのまま当時の明菜の精神的不安定さを表していたような気もする。5年目の86年に発売されたアルバム『不思議』『クリムゾン』の2作はともにその顕著な例であり、彼女のファンでない限りは非常に聴き辛いアルバムになってしまっている。CRIMSON(紙ジャケット仕様)
 俺が思うに、中森明菜が歌手として完成するのは少なくともアルバムでは88年の『Stock』、シングルでは『Liar』ではないかと思う。そしてトップスターとしてのキャリアを終えた90年代、歌姫シリーズを中心に様々な歌に挑戦するなかで、ボーカリストとして円熟期を迎えるのだ。歌姫伝説~’90s BEST~(初回盤)(DVD付)
 百恵が引退までの8年間の中で、時にはスタッフに与えられた中庸な曲では収まりきらないほどに表現力・歌唱力の急激な成長を見せて、6年目のシングル「いい日旅立ち」アルバム『曼珠沙華』の頃には既に表現力においてはその才能がピーク(満開)を迎えていたのとは対照的に、アキナは非常にスローに、自分の表現力を伸ばしてきた歌手のように思えてならない。
 そのようなタイプの歌手であるにも関わらず中森明菜が一時代を築けたのは「モモエ後継者」が求められていた時代の要請に彼女自身が見事に応えたからであり、また多彩な作家によるバラエティに富んだ質の高い作品群を掘り起こしてリリースし続けてきた結果でもあり、それらはすべて、アキナ本人のセルフ・プロデュース能力に負うところが大きいような気がする。いわば本人の才能の成長に回りが感化されて発展していったのがモモエのケースとすれば、アキナは回りの環境変化と作品のハードルを徐々に上げていくことで自分を引っ張り挙げていった人かと。
 人間的には脆く見えて、実は最もしたたかに自らのキャリアを切り開いてきたのが明菜、だったのかもしれない。