「シングルガール」〜迷いの表れた失敗作

 久しぶりに太田さんのエントリーです。
 1979年7月21日発売。作詞:阿木耀子、作曲:宇崎竜童、編曲:大村雅朗
 この時期の太田さんと太田スタッフは、迷っていたのね、きっと。77年末の「九月の雨」の大ヒットのあとを受けてリリースした「恋人たちの100の偽り」が原因不明の大コケ。トップ20にも入らず、売上げも「九月〜」の3分の1にも満たない成績に終わってしまう。(この辺のエピソードに関しては、ず〜〜〜と前にこのブログでも取り上げたことがあるので、もし興味がおありでしたらご覧くださいませ。こちらこちらこちら、そしてこちら。ブログ書き始めの頃の文章なので、まとまりがなくてお恥ずかしいのですけど。 汗)。結局、続くシングル「失恋魔術師」「ドール」も最高20位台の小ヒットに終わり、79年に入ってからの「振り向けばイエスタディ」「青空の翳り」は、彼女にとって原点回帰ともいうべきフォーキーな佳曲の連続リリースであったにもかかわらず、それらは最高位50位の壁さえ破れず。そんな低迷期にリリースされたのがこの「シングルガール」。
 阿木・宇崎コンビといえば、いわずと知れたモモエの一連の大ヒットを手がけたヒットメーカー夫婦。ここはモモエと同じレコード会社所属のよしみで、ヒットの出ないヒロミちゃんのために一肌脱ぎましょう、というわけでもないだろうけど、いつもながら手の込んだインパクトの強い曲に仕上がっているのは確か。でも・・でも・・やっぱりちょっと違う!!というファンの心の叫びが結果に出たのか、オリコンの成績はというと最高位53位、売上2.6万枚に終わり、やっぱりこの曲でも“オリコンウイークリー”のチャート見開き左側(トップ50)には顔を出すことができなかった裕美さんなのだった。
 実は阿木・宇崎コンビと太田裕美さんのコラボは、この曲の前にも76年リリースのアルバム『12ページの詩集』に収録の「あさき夢みし」で実験済みで、作詞(策士)の阿木さんはサビで「♪まどろみ まどろむ まどろむ」という、ラ行連発の歌詞をわざと舌足らずな太田裕美さんにぶつけて、独特なニュアンスを出そうと試みていた。可愛らしい曲調の「あさき夢みし」はデビュー間もない裕美さんのあどけない声もあって成功しているが、阿木さんは79年の「シングルガール」でも再び同じコトを試みようとしたのだ。
 そして。この曲の歌い出し、スキャットをからめた「〜シングルガール ルルルルル シングルガール〜」というのはまるで裕美さんへの嫌がらせ?みたいになってしまった(笑)。これを裕美さんが歌うとこうなる。

シ〜ングウガ〜 ドゥドゥドゥドゥドゥ シ〜ングウガ〜

 一生懸命歌っているだけに、滑稽を通り越して哀れささえ漂う。
 ちなみに当時の俺は、大人しい曲ばかりが続いていて思うようにヒットが出なかった裕美さんが、久々にわかり易い曲を出してくれて、それなりにヒットを期待していたのだが。でもやっぱり、オトナっぽいこの曲調で、裕美さんの「ルルルルル」はないよな〜なんて思ってた。やっぱり、太田裕美さんは自然派かつクオリティ勝負の歌手であって、策を弄する阿木さんの手にかかって、まるでモモエさんのようにマーケットに媚を売ったり、果ては「時代と寝る」ことは最初から合っていなかったんだと思う。それこそデビュー当初からのコンセプト「まごころ」とは正反対の方向であるからだ。それなのに一つ間違えばその方向に進みかねない選択をしていた、当時のスタッフそして太田裕美さんは、やっぱり迷っていたのだろう。
 過去ログにも書いたとおり、当時、太田裕美さんはバラエティ番組「スターどっきり」の準レギュラーを務めたりもしていたのだが、それは彼女のバイオグラフィに載ることは決してないだろう。そしてこの「シングルガール」も、その後のコンサートでほとんど歌われたことがないのだ。
 貧すれば鈍す、ではないけれど、歌手が売れなくなったとき、いきなり妙ちくりんなカバー曲に挑戦したり(ナンノの「耳をすましてごらん」とか、ウインク「ふりむかないで」とか)、キャラと合わないプロデューサーと組んでみたり(みゆきが甲斐よしひろと組んだのは「みゆきのご乱行」と言われた)と様々な試行錯誤を繰り返すケースは少なくない。
 この曲の場合、曲がしっかりしているだけに、ベスト盤に収められても浮いてしまうような「継子」的作品というまでには至っていないように思うのだけれども、太田裕美さんの数々の名曲群のなかに並べてしまうと、hiroc-fontana的には迷いの中の「失敗作」としか呼べない作品には違いないのだ。
 この後の太田さんは自作の「ガラスの世代」でフォーク路線に戻し、翌年「南風」をスマッシュ・ヒットに結びつけて、まずは一安心(笑)となって現在に至る。