愛聴盤7『時のないホテル』松任谷由実

時のないホテル
 これぞ、時代に褪せぬ名盤、と言えるのかも。発売は1980年6月。ユーミンらしからぬとても沈うつなイメージの作品ゆえ、ファンにも賛否あるようだけど、“重い”ぶんだけユーミンの才気が発揮され、注ぎ込まれている作品のように思う。実際この作品発表当時、本人の精神状態も相当落ちていたようだけど・・・。
 とは言ってもワタクシメ、この作品、真面目に聴いたのは今年になってからなんです(汗)。ユーミンファンのみなさま、ごめんなさいませ。
 きっかけは今年2月。あのナエバ(「Yumin' in Naeba」)に友達(もちろんゲイ)に誘われてコンサートを観て以来、私はどんどんユーミンにハマりまして。40周年記念に相応しい傑作だった最新アルバム『Road Show』はもちろん、その前には中古でYUMI MATSUTOYA 1978-1989YUMI MATSUTOYA 1978-1989』という紙ジャケCDーBOXまで購入しまして、とにかく新旧のユーミンのアルバムを聴きまくったのがこの春、そして夏だったのよね。こんなにユーミンにハマったのは、80年代以来のこと・・・というか、当時以上かも。
 でも、今更ながらユーミンにハマって本当に良かった。そう思う。だってそうじゃなければ、この名盤も聴き逃していたもの、きっと。
 とにかく、真空パックされた詞・曲・サウンド(アレンジ)のその三位一体の「密度」が凄いこの作品。いつ聴いても何度聴いても、その濃密で贅沢な時間が毎回きっちりと再現されて、決して薄まらないのよね。例えば、電車の中でヘッドホンでランダムに音楽を流していても、このアルバムの1曲目「セシルの週末」のイントロが聴こえてくるだけで耳が奪われて背筋がシュンと伸びちゃう、そんな感じなのだ。もちろん捨て曲なし。
 このアルバムの凄さはね、何と言ってもストーリーテラーとしてのユーミンの創造力(想像力)に尽きると思う。不良少女を主人公にした「セシルの週末」に始まって、冷戦時代のスパイ映画を思わせるタイトル曲「時のないホテル」、映画「ドライビング・ミス・デイジー」のラストシーンを10年も早く先取りしたような「Miss Lonely」、白血病に冒されたランナー(恋人)を見送る「雨に消えたジョガー」などなど、後の“恋愛の教祖サマ”という評価が安っぽく感じられるほどに、実に多種多様な世界を、それもドラマチックに歌にしているのだ。
 それにもうひとつ、ユーミンの言葉選びの素晴らしさに唸らせられるアルバムなのよね。例を挙げるなら、歌い出しフレーズの「つかみ」。

 窓たたく風のそらみみでしょうか
 あなたからのプロポーズは    「セシルの週末」

 ミス・ロンリー
 調子の狂ったピアノのふたをあけてみる    「Miss Lonely」

 あたたかい朝もやが雨になる
 眠った通りを響かせ うつむいたランナーがあらわれる
                「雨に消えたジョガー」

 てな具合。例えば映画のオープニングシーンでは、何気ない一本道が映っていたり、あるいはテーブルの上の飲みかけのコーヒーカップだったり、多くの場合そんなありふれたシーンで始まるのだけど、観客は「何なに?」と興味を持って映画のストーリーに入っていくから、それはそれでとても重要な部分なのよね。だからあとあとになってそれが映画の重要な伏線になったりすることも多いわけで。
 そんな意味で、上に挙げたこのアルバムの曲の最初で使われるフレーズたちは、スゴイと思うわけ。短い文章なのだけど、それが曲の全体のイメージを決定し、尚かつストーリーを短いフレーズに集約してるのよね。
 極めつけはこれ。

 最初からわかってたのは
 パンプスははけないってこと    「5cmの向う岸」

 「5cmの向う岸」は、年の差ならぬ“身長差カップル”が主人公。つまり女性の方が5センチ背が高いわけ。そして最後は哀しい別れを迎えるわけだけど、そんな二人の関係を、そしてその行く末までをもこの短いフレーズで全部説明しちゃってるのよね。ユーミン、「天才」ですわ。
 収録曲はこのほかにも名曲ぞろい。萩尾みどりへの提供曲で(ケイちゃんもカバーした)、オトナの恋愛関係の中で経験の豊富さゆえに感じてしまう“醒め”の瞬間を見事に切り取った「ためらい」、「セシルの週末」の後日談で観音崎セリカなど実在ワードを使ってより主人公に実在感をもたせた「よそゆき顔で」、そして「♪ 白い眠りぐすり」というショッキングな冒頭でドキリとさせる「コンパートメント」は7分にも及ぶ大作で、ゆっくり走り出した汽車のコンパートメントはそのまま棺桶を運ぶ霊柩車になるという、救いようのない作品でこのアルバムは一旦幕を閉じるのだ。そしてエピローグとして“諸行無常”の世界観に満ちた幻想的なバラード「水の影」でエンディング。こちらは最近までNHKのTVドキュメンタリー番組のエンディングテーマに使用されていたのでご存知の方は多いかも。
 ところで、タイトルナンバーの「時のないホテル」は、最初聴いたときには「ホテル・カリフォルニア」のパクリかしら?なんて思っていたのだけど、ネットで色々と調べて見ると、変わらぬホテルに譬えて世界の目まぐるしい動きの中で独り平和を貪っている(平和ボケの)日本と日本人を批判した作品らしいのよね。

 堅いニュースはすぐに忘れて ゴシップだけが残る
 回転ドアを少しまわせば
 外の空気が流れ込むけどあわてて
 とめに来るよ 制服着たボーイが  「時のないホテル」

 イ、イタイわ、あまりに的を得ていて、痛すぎる!ユーミン!!
 そんな深い意味も込められているこの作品、聴けば聴くほどいろんなものが見えてくる気がして、そこが飽きないところなのよね。
 最後に付け足しっぽいですげど、マツトーヤ旦那のアレンジも総じて80年代以降のアメリカン・アダルト・コンテンポラリーの王道を行ってて(初期のホール&オーツとかそんな感じね)とにかく手堅い。それを一歩も外してないところがこれまた凄いです。鳴り響く松原さんのギターの音色とかフレーズとかが俺的にはとても美味しく感じられてね。サウンド的にもとても贅沢。
 ちなみにアルバムジャケットはロンドンにある「ブラウンズ・ホテル」で撮影。こちらもシックでオシャレなんですけど、歌詞カードにはなぜかこんなお写真が。。。宇宙人?一歩間違えば風船太郎。。。
でもこんなユーミンが、好き!