愛聴盤8〜矢野顕子『welcome back』

 矢野顕子さん。秘密のアッコちゃんです。僕らが子供の頃(70年代後半頃)のパブリックイメージでは、崩れた着物にお白い顔で、歯茎出してヌッと笑う、まさに寺山修司の映画に出てきそうな“狂女”的な印象だったのよね。愛がなくちゃね。テレビで「いろはにこんぺいとう」を演奏している彼女を初めて見たときの衝撃。何か大変なものを観ちゃった!といった感じで、それこそ兄貴と一緒に大騒ぎ(笑)、興奮して夜もなかなか寝付けなかった。
 そんな矢野さん、1981年のCMソング「春咲小紅」のヒットでベッテンなど露出も増えて、だいぶそのイメージもマイルドになって(というか、視聴者もそのインパクトに馴れてきて 笑)からは、その高い音楽性が正当に評価されて一般的にも認められてきたのよね。
 さて、俺の愛聴盤『welcome back』は1989年の作品。ギターのパット・メセニーをはじめ、チャーリー・ヘイデン(ベース)、ピーター・アースキン(ドラム)というNYの一流セッションマンを従えてレコーディングされたアルバムで、それら最高の演奏家たちのインスピレーションがぶつかり合う“ジャズ・セッション”の手法の中で、矢野顕子という優れたミュージシャンが創り出す音楽のオリジナリティが全く失われず、却ってその質の高さが際立ってくるような印象の作品で、「良い音楽が普遍であること」を感じさせてくれる名盤。
 まず1曲目、パット・メセニーの花びらが舞うような軽やかなギターにアッコちゃんの風のようなスキャットとピアノが絡み合う「“It"s For You”」の心地よさに陶酔させられる。2曲目「しんぱいなうんどうかい(Field Day)」続く「みのりのあきですよ(Autumn Song)」は糸井重里・リューイチ坂本コンビが加わったいつもの矢野アッコ節で、ほのぼのとした楽しさと、不意打ちのような糸井さんの尖った言葉遊びが共存したビミョーなテンションが気持ち良い作品。圧巻は5曲目「ほんとだね。(It Will Take A Long Time)」。これはサウンド的には完璧なジャズ。ドラムとベースに矢野さんの即興ピアノ、間奏ではトランペットのアドリブ・オブリガートが入ったり、その心地良いスイング感に身をゆだねながら、「♪ 時間が かかるの 愛するには」の変拍子のリピートにぶつかってふと歌詞もメロディーも「あ、矢野顕子の曲だ!」と気付く。そう、時代も・国境も・ジャンルも・すべて超越した音楽をしている人(「良い音楽は普遍」を体現している)、それが矢野顕子さんなのだ。それがあまりに気負いなく、自然なのがすばらしくて。
 収録曲は他にもテレビジョンのCMソング(「きれいだね。」)にもなった、ピアノの音色が美しい「How Beautiful」、チャーリー・ヘイデンのベースをフィーチャーしたアッコちゃん風わらべうた「かぜのひきかた(How To Catch Cold)」、ボサノバ風のゆったりとしたリズムが心地良い「Waching You」など、詞、メロディー、演奏全てにおいて聴きどころ満載の名曲ばかり。
 とくに好きな1曲は、フォスター作のフォーク・ソング「Hard Times,Come Again No More」。アフロ・アメリカ人たちの「辛い時代を二度と繰り返したくない」という祈りの歌で、それを矢野さんのピアノとチャーリー・ヘイデンのベースのみの演奏で、静謐ななかに熱い願いを込めるように切々と歌い上げる顕子さんのボーカルがこれまた素晴らしくて。ボーカリスト矢野顕子の存在感が際立つ傑作。
 この人がいまだにコンスタントにアルバムを発表し続けてくれているのも嬉しい。類い稀なる日本の才能、日本人であるなら必ず家に1枚の矢野顕子を!それをスローガンに私はこれからも矢野顕子さんを応援していきます、清水ミッチャンと共に!(笑)