石野真子「ジュリーがライバル」

GOLDEN☆BEST
 スタ誕出身。所属レコード会社はビクター。八重歯と愛嬌のあるタレ目がチャーム・ポイント。決して上手くはないけれど、素直な発声で「ウタも結構歌える」。おまけに夏には水着にもなって、しっかりとオトコの子たちのムンムンした欲望の対象としての役割を果たす。
 石野真子ちゃんこそ、既に絶滅してしまった「正統派アイドル」(←死語です)、その見本のようなお方だったわね。
 1978年という、ニュー・ミュージック隆盛時代にデビュー。1981年にあの長渕剛との結婚を機に引退するまでわずか4年間、そのキャリアの中では結局トップテンヒットを生み出せず、歌手としての業績で見れば恵まれなかった人なのだけれど、猫も杓子も“おニューな”音楽に飛びついたあの時代に、しっかりと従来型の歌謡戦線の中心に立って(笑顔を振りまいて)、固定ファンががっちりついていた真子ちゃんは、いま振り返るとヒットの規模こそ小さかったけれど、デビューがあと3年早ければ(または遅ければ)、確実にジュンコやキョンキョン級の成績を残していたのではないかしら、なんてことも思うのね。
 そんな真子ちゃんが、ライバルとして指名したのが「ジュリー」。ジュリーはこの曲がヒットした1979年の秋にはもう人気のピークをとっくに過ぎていて、かつての輝きは無かったのだけど、歌謡曲のスターでありながらニュー・ミュージック隆盛時代を生き抜いたジュリーを「ライバル」とする辺り、真子ちゃんサイドの“最後の正統派アイドル”としての矜持だったのかしらね。だって当時で言えば「(松山)千春がライバル」とか「(さだ)まさしがライバル」とかでも良かったはずでしょ(笑)?
 それにしてもこの曲、現役のスターをタイトルに入れちゃう、というのが凄いわね。「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」(大塚博堂)とか「ジェームス・ディーンのように」(Johnny)とか、外タレ(笑)はあっても、ジュリーは、日本の、それも現役の大スターだったのだものね。でもこれって、百恵さんの「プレイバックPart2」の歌詞の中で「勝手にしやがれ」が出て来ちゃったり、TVドラマ「寺内貫太郎一家」で樹木希林がポスターの前で「ジュリ〜〜!」と言いながら身体をモジモジさせる有名なシーンがあったからこそであって、彼(ジュリー)は既にこの時点で「イイ男」のイコンとして機能していたのね、きっと。そう言えば、竹内まりやの「今夜はHarty Party」で「♪ キムタクさえも霞むような男」とかいうフレーズが出てきたのも、似たようなものよね。(俺としてはキムタク、ちっともイイ男に見えないんだけどな〜。仕方ないわよね、単なる「代名詞」だから。笑)
 「ジュリーがライバル」は1979年9月発売。オリコン最高位は24位。作詞に松本礼児、作曲は幸耕平(この方はキョンキョンにも「常夏娘」というシングルを提供)。カリプソ風味のサウンドと冒頭のライラ・ライラ・・・というコーラスが楽しい曲で、真子ちゃんにとっては「春ラ!ラ!ラ!」に続くセールスを記録した代表曲。この曲で紅白にも初出場となりました。このノーテンキさ、楽しさ。何だかとっても救われますわ。

  • マコちゃん過去ログ、こちらもどうぞ → 「めまい