トップテン常連・・でも土俵際(笑)〜最高位10位特集

 かつて「ザ・ベストテン」で久米さんがマチコ(渡辺真知子)たんのことを“土俵際のマチコ”と呼んでいたことがあったのね。マチコさんの場合、デビュー曲「迷い道」しかり、セカンドシングル「かもめが翔んだ日」、サードシングル「ブルー」までも、べストテンの8位〜10位くらいにランクインすることがとにかく多かったからそのあだ名がついたわけだけど、実に久米さんらしい、巧いネーミングよね。
 今にして思えば、これもベストテン華やかなりし頃の話であって、10位に入るかどうかが“超高視聴率番組”に出演出来るかどうかの分かれ目だったわけだから、たとえ土俵際であっても(笑)マチコたんにとっては名誉なことだったはず。
 今回は、そんな土俵際でなんとか踏ん張った、あるいはかろうじてトップテンに滑り込んだ(笑)、「最高位10位」の曲たちを集めてみました。
 まずは、最高位10位ソングの最多保持者のご紹介。この人でございます。

 やくまる夫人・石川秀美さんね。なんと持ちウタの6曲が最高位10位!彼女は全キャリアの中で13曲のトップテンヒットがありながら、そのうち半分はトップテンをかすっただけ、ということ(笑)。初のトップテンヒット「Hey!ミスターポリスマン」から「恋はサマー・フィーリング」「バイ・バイ・サマー」「スターダスト・トレイン」までなんと4曲連続10位、という珍記録もお持ちです。何が何でもトップテン、みたいなプロダクションの操作も感じられなくはないけど(苦笑)、面白い記録です。動画「サイレンの少年」は彼女の最後のトップテンシングル、それも最高位10位、という・・・。
 アイドル系で言えば、秀美さんのようにデビュー当初に10位前後のヒットを何作か記録して、そのあとブレイクして最高位を上げていく場合と、キャリア後期で人気が下降していく中、ようやくトップテンに滑り込んだ、という二つのパターンがあるようね。
 桜田淳子さんの場合で言えば、じわじわと人気が出てきた初期シングルの「三色すみれ」「黄色いリボン」(1974年)が連続10位、その後ブレイクして、人気に陰りが出てきた頃の「リップスティック」(1978年)、これが筒美京平作曲の名曲なのだけど、こちらがかろうじてトップテン入りの最高位10位、というパターンね。リップスティック (MEG-CD)
 あの百恵さんも、引退秒読みの頃に発表した「愛染橋」(1979年)が、春告鳥(初回生産限定盤)(紙ジャケット仕様)最高位10位だったのよね。百恵人気も“結婚・引退フィーバー”が無ければ、すでに陰りが出ていた、ということね。それでも土俵際にとどまったのは、サスガね。
 アキナも、いろんなことがあったあとの復活シングル、坂本リューイチから曲提供を受けながらも、何だか冴えなかった「Everlasting Love」(1993年)EVERLASTING LOVEの最高位が、やっぱりギリギリ土俵際の10位でした。
 一方、石川秀美ちゃん以外にも10位常連のアイドルがいまして、最大のライバル、早見優ちゃんも「渚のライオン」「ラッキィ・リップス」「STAND UP」「Passion」と通算4曲の最高位10位ソングを持っているのね。前の2曲が初期の筒美作品の名曲、後の2曲がロック路線突入後のヒットでした。土俵際のライバル、ね(笑)。

 同じく10位常連組は、80年代アイドルのひとり、よっしえさん。ホント、柏原芳恵さんの場合は6位〜10位の中ヒット作品がずら〜っと並んでまして、聖子や奈保子と一緒にいつもテレビに出ているのだけど、やっぱりどこか格下感は拭えなかったような。。。「花梨」「ちょっとなら媚薬」「悪戯Night Doll」「太陽は知っている」「春ごころ」の通算5曲が、最高位10位。

 ↑う〜ん、やっぱり、微妙よねえ。「最高位10位」にナットク。
 
 あとは、私の好きな最高位10位の名曲を並べてましょう。
いしだあゆみ「涙の中を歩いてる」1969年
岩崎宏美「万華鏡」1979年
サザンオールスターズ「Ya Ya〜あの時代を忘れない」1982年
五木ひろし長良川艶歌」1984年
小泉今日子「La La La・・」1990年
・AKB48「桜の花びらたち」2006年
 まあ、最後の1曲は冗談として(笑)、知らない曲もあれば、え?10位までしか行かなかったの?という曲もあるのではないかしら。
 最後に、冒頭に言及した真知子たん。実は彼女の曲で最高位10位どまりだったのは1曲だけなのよね。それが、トップテン土俵際ながら33万枚を売り上げたこの名曲「ブルー」。