孤独のグルメ

 ドラマ「孤独のグルメにハマっている。
何だかねえ〜、この主人公、自分みたいで(笑)。
 観たことが無い方に、ちょいとご説明。
 個人で輸入雑貨商を営む中年男“井之頭五郎”(おそらく独身だが、その説明は無し)が、商用で訪れた街でふと立ち寄った店で思いがけず出会う、町なかグルメの数々。もちろん、グルメを食するのは井之頭五郎ただ独り。彼は心の中で、予想外の味との出会いに歓喜の叫びを上げ(心の声:「お〜〜。こう来たか!これ、大正解!」)、至福の時間の訪れに思わず顔をほころばせる(心の声:「ありがとう!」)。「美味しい」を分かち合う相手など、彼には必要ないのだ。なぜか。それは以下の一文を読めばわかる。

  〜HP“イントロダクション”より引用〜
 時間や社会にとらわれず、幸福に空腹を満たすとき、つかの間、彼は自分勝手になり、「自由」になる。誰も邪魔されず、気を使わずものを食べるという孤高の行為。この行為こそが現代人に平等に与えられた、最高の『癒し』といえるのである。

 そう、彼はそのとき、「自由」であり、最高の『癒し』を得ているわけだ。 
 先ほど説明で「ふと立ち寄った店」と書いてしまったけれど、実際は違う。五郎さんの店選びはいつも真剣。三度の食事を疎かにすることなど、(おそらく)勿体なくて、彼には出来ないのだ。
 それは「自由」と「癒し」のチャンスを、棒に振るのと同じだから。。。
 
 これってね、本当に、いまの俺、そのものなのよね。
 50代に入って、独りモノだから食事に使えるお金も多少は自由になってきて。でもこれから先、いつ病気になって好きなものも食べられなくなってしまうのかわからないのだから、限られた時間にどれだけ美味しいものを食べられるか・・それを考えたら、一度の食事だって、無駄にしたくない!やっぱり、そう思うでしょ。
 贅沢? たしかにそうかも知れない。だから、俺はこう決めている。
 好きな物を食べられることに感謝して、頂けるものは残さずに食べる。それは絶対に外さない。(「孤独のグルメ」主人公の五郎さんも、いつも両手を合わせて「いただきます!」と言ってから食べる。たまに好奇心が勝って料理を頼み過ぎてしまうのだけど、絶対に残したりしないのだ。そこがまた好きでね。)
 
 先日、ダンナさんが亡くなられたばかりの奥さんが、こんなこと、言ってた。
「今まではダンナが居ないときに自分が好きな物を作って食べるのが楽しみだったのだけど、いざ誰かのためにご飯を作る、っていうことがなくなっちゃうと、自分の食事なんてどうでもよくなってきてしまって。でも、それじゃあダメだから、自分のために作ったご飯を毎日写真に撮るようにしたの。そうしたら少しずつだけど、ちゃんとしたものを作れるようになったのよ。」て。
 家族って、そんなものなのかなあ、なんて思った。
 幸い俺の場合、たとえ家で独り過ごす休日であっても、カップラーメンでやり過ごす食事など、考えもしない。
 一汁三菜、メインは盛り付けもちょっとだけ工夫して、目でも舌でも味わえるように仕上げて、仏壇にあげて。。。
 あ・・・俺ったら、ご先祖たちと「美味しい」を分かち合っていたのかもね!(苦笑)
↓原作本(漫画)です。

孤独のグルメ 【新装版】

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