「赤いスイートピー」の奇跡

 1982年1月21日発売。作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆。聖子さんが初めてユーミン作品を歌った第8弾シングル。少しづつ春が近づく足音が聞こえ始めたこのごろ、発売後35年を経過してなお、みずみずしさを保っているこの曲の素晴らしさを、改めて振り返ってみたいと思いました。お持ちの方は是非CDを聴きながら、しばしお付き合い下さい。
 「♪ 春色の汽車に乗って 海に連れていってよ」
 “春色”とは、電車の車体が薄紅色なのかもしれないし、開け放した車窓から吹き込むそよ風が、春を感じさせるイメージを表しているのかもしれない。いずれにせよ、春の柔らかな日差しのように、どこまでも穏やかでキラキラと輝くようなピアノのイントロに続いてのこの歌い出しから、聴き手は鮮やかに命が萌え出す眩しい季節の始まりと、淡い初恋に彩られた青春時代のあのころに、いつの間に心地良く誘われていくのです。
 当時、間もなく20歳を迎える聖子さんは、ほんの少しだけ歌い出しを食い気味にスタートさせます。まるで、汽車に乗って早く海に行きたいとはやる気持ちを抑えることが出来ないかのように。喉を傷めて以来少しハスキーになった低音部はそれでも、絹のように柔らかいファルセットがまだ健在で、前半部はそんな滑らかなファルセットを駆使して丁寧に言葉を置いていく、若き聖子さんがいます。
「♪ 煙草の匂いのシャツに そっと寄り添うから」
 そして、彼にそっと寄り添う彼女の小さな歩み寄りに、ぎこちない反応しかできない彼に対して、彼女の心の奥で、想いは少しずつ盛り上がっていくのです。それに呼応するように高まりを見せ始めるメロディー、柔らかなファルセットから次第に声の焦点をまとめ、強さを纏っていく聖子さんのボーカル。そこが素晴らしいのです。
「♪ 何故 知り合った日から半年過ぎても あなたって手も握らない」
“知り合った日から”の“ら”が最も低い音。聖子さんはここで音程をわざと甘くして上ずらせることで、主人公の少女の存在感を際立たせるのです。完璧な歌い手ではなく、まるで生身の少女が鼻歌で歌っているかのように。続く“半年過ぎても”のフレーズでは、「はんとーし」でリズムに勢いを付けた後、「過ぎ・て・も」と言葉を少しもたつかせて絶妙に心の迷いを表現し、「あーなたって」の「ア」音に甘える気持ちを乗せて、「手も握らない」の最後の「イ」音は「握らない・イ」と音節切り&必殺の“泣き声”に持って行く。見事な構成です。
 そしてサビ。ここでもどちらかというと歌い上げるというより、力を抜いてニュアンスを重視した歌い方になっているのが、デビュー3年目の聖子さんの歌手としての成長を伺わせます。
「♪ I will follow you あなたについてゆきたい
 I will follow you ちょっぴり気が弱いけど 素敵なひとだから」
 最初の“フォーロユー”の「フォ」では声が少しひっくり返って、縋り付くような可愛らしさを醸し出しています。そして“ついてゆきたい”の部分は少しテンポを引きずって、言葉を置いていくような感じが「ついていく側」の控え目な女の子を見事に表現しています。その結果、2回目の“フォーロユー”はブレスが厳しくなって少し声が小さくなり、却って曲に陰影を与えているように聴こえるのが、まさに奇跡ですね。続く“ちょっぴり 気が弱いけど”あたりは微妙にしゃくり上げを混ぜて泣き声を繰り出したあとは“素敵な、人だかーらー”でハスキーなウィスパー(ファルセット)に戻し、それはまるで、少女が自分の深い想いを確かめるようにも聴こえます。
 そしてエンディング。さざ波が寄せる心の岸辺に、淡いスイートピーが確かに花開いていることに気付く少女。
「♪ 心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー
 スイートピー花言葉は、旅立ち。淡い恋心の自覚、それはまさに、大人への旅立ちでもあるのです。
 歌の最後は短く盛り上がって、すぐに穏やかに収束します。まるで淡い初恋のように。そんなさりげないエンディングのメロディーを聖子さんは丁寧に追い、さりげないビブラートをかけてフレーズを閉じるのです。
 メロディー、歌詞(ことば)、アレンジ、そしてボーカル。すべて無駄なく、ある意味、最小限の表現に抑えられていながらも、それらが見事に呼応し合う相乗効果で「いのちの、瞬間の輝き」を最大限にまで再現し得た、それゆえいつ聴いても瑞々しい、奇跡のような曲であると、改めて思えませんか。

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