桜田淳子の集中力。

hiroc-fontana2005-02-23

 こんにちわ〜、さくららじゅんこれ〜す。(片手で前髪を分けながら目をキョロキョロさせる。「わ」の発音は少し鼻の下を伸ばしてね!)演歌歌手の牧村三枝子がモノマネをやっていた「淳子」が印象深い。桜田淳子を思い出そうとすると、いつの間にか頭の中ではマキムラ淳子に入れ替わってしまう。そんな感じ。そんな桜田淳子って、やっぱり「アイドル=偶像」の典型だったのだな〜とつくづく思う。はじめにキャラクターありき、の人なのだ。
 でも俺は淳子の「歌」が好き。好きになったのはここ10年位のことで、本人が活躍していた当時はあまり興味が無かった。70年代は太田裕美、80年代には裕美さんから松本隆つながりで松田聖子をよく聞いていた俺だが、今思えば聖子の歌の中にまぎれも無く淳子の残像を感じていたのだと断言できる。明るい曲想、少しハスキーな声、個性的でクセのある歌唱法など、実に共通点が多いのだ。そもそも淳子は聖子の事務所(サンミュージック)の先輩だったのである。
 さて、淳子の曲での一押しは「泣かないわ」(76年、作詞・阿久悠、作曲・森田公一)。パカーン、パカーンというピアノイントロも、三連で畳み掛けるサビも疾走感があって素晴らしい。淳子の歌って「集中力」と「疾走感」だと思うのだ。「くちーづけーのそのあとで(間)おしゃべりは(間)しないーで(はじめての出来事)」とか、「なつーは心のカギーをー(間)あまーくするわー(間)ごようじん!(夏にご用心)」とか、歌っていない部分(間)のとり方がいい。これは、集中力のなせる業だと思うのだ。一つの音のまとめ方に対する気合、というか。だから彼女の歌を聴くと、決して巧くないけど、強さというか「音圧」が感じられるはずだ。それがテンポの速い曲では、ドライブ(疾走)感となって出てくるのかもしれない。そんな1曲「気まぐれヴィーナス」」(77年、作詞・作曲上記と同じ)も淳子のヴォーカルに無駄がなく、終始ハジけていてオススメの曲。短い時間の中に集約された完璧な演技。オリンピックの個人演技みたいなものだ。振り返れば、それが出来た数少ない歌手の一人だったのかもしれない。
 但し、中島みゆき作品は最初からあまりにも演劇的すぎて、やはりあれは淳子にとって「禁じ手」だったのだなあ、とも思う。阿久悠ならではの象徴句中心の詞の中で、瞬間瞬間のリアリティを表現する、それが彼女の真骨頂だったのかも。
 あ〜そういえば、淳子のモノマネは「ど〜もお〜」で始まるんだったっけ?