桜田淳子『20才になれば』

20才になれば(13th)+α(紙ジャケット仕様)

20才になれば(13th)+α(紙ジャケット仕様)

 淳子たんのアルバム、紙ジャケ復刻シリーズより。ジュンコってば、あの芸能界からの消え方からして、知ってる人には今だにどこか「アンタッチャブル」なイメージばかり先行してて、一向に再評価の機運が盛り上がらない感じが寂しいのだけど。実際、アイドル好きのゲイの友達とジュンコの話をしても、「歌唱力が人気についていかなかったのよね」みたいに言われることが多くて、結局はそんな評価で終わっている人みたい。
 ジュンコは、確かに歌は上手じゃない。声の伸びはないし、歌い方に変なクセはあるし、音程は不安定だし。でもね、そういった負の側面をカバーして余りあるほどの独特の魅力が彼女のボーカルにはあって、それがきちんと評価されていないのは哀しいな、と俺は思ってる。(彼女のボーカルの魅力については過去ログにも書いてますのでこちらを→   )
 アルバム『20才になれば』のオリジナル発売は1978年10月25日。シングル「しあわせ芝居」「追いかけてヨコハマ」そしてタイトル曲「20才になれば」と続いた中島みゆき作品3部作を収録しているほか、全曲みゆき作品で固めたアルバム。(ちなみに他の収録曲はすべてみゆきさんの既発曲のカバー。)のちにシングル化されて賛否両論を巻き起こした「化粧」も入ってます。「化粧」はこちらのアルバム・バージョンの方が意外にさらりと歌っていて、いいかも。
 俺はこのアルバム、今回復刻版で初めて聴いたのだけど、期待に反して意外にフツーの出来で、最初は正直がっかりしたのね。だって、なんたってジュンコ+みゆき、その核反応の面白さはシングル三部作で実証済みだし、よりそれを深化させた濃密な世界が展開されているものと思っちゃってたから。でも実際はみゆきさんのカバー曲では軽めの選曲が多いのと、もともと演劇的発声で歌唱法が似通っている二人(みゆき・ジュンコ)だから、印象としては「ちょっとだけ歌の上手なみゆきさんのアルバム」みたいに聴こえちゃってね(笑)。
 でもこれは良く考えれば凄いことで、みゆきさんの世界にそれほど寄り添っちゃってるジュンコがいるってことでね。作家と歌手の間でちょっとの解釈のブレもない、ということだからね。

 海鳴りよ海鳴りよ
 今日もまたお前と私が残ったね (「海鳴り」より)

 う〜、さ・び・し・い〜。この物凄い孤独感が漂う歌を、つぶやき声で歌うジュンコさんはこのとき既に「夜会」の舞台に上ってます(笑)。特に「私が残ったね」のあたりで泣きを入れて声を割るあたり、巧いっす。
 ラスト曲「おまえの家」は、みゆきさんのストーリーテラーとしての側面が色濃く出た饒舌で長い歌詞を、その個性に溺れることなく鮮やかに再現してくれるジュンコさんの力量に、脱帽の曲。ちょっとしゃれたシャンソンみたい。この人ってやっぱり、役者なのだ。ホンの主人公を的確に実在の人物として演じられちゃうヒト。
 ジュンコのアルバムが復刻されたこの時期に、阿久悠さんが亡くなったのというは、ジュンコを寵愛していた阿久悠さんの遺言のような気がして不思議な感じ。ちゃんと評価してやってくれよ、みたいなね。かの長谷川一夫がジュンコの才能に惚れてた、ってのも有名な話。そう、ジュンコは今までも、オトナたちに評価されたきた。だからオトナになった今こそ、聴くべし。きっとそのよさがわかる。