どっぷりゴロー・ワールド その1

筒美京平ウルトラ・ベスト・トラックス 野口五郎
 若い頃、野口ゴローに似てるね、と言われたことがある。    こんな感じ?→
では全然無かったけどね。だけど俺、一時期はその気になってカラオケでもゴローさんの「私鉄沿線」を十八番にしたりしていたのだ(ちょっと恥ずかしい・・)。でもキーが自分の声に妙に合ってて、とても歌い易かったのは確かなのだ。もしかしたら「ちょっと骨格が似ていた」ということなのかもね。
 ところで、五郎さんと言えば「新御三家」だけど、王子様系のヒロミ、ワイルド野郎のヒデキから比べると、当時、どうしても大人しい印象があった。ポジショニング的には「三番目の男」、旧御三家で言えば「舟木一夫」、たのきんで言えばヨッちゃんこと「野村義男」のポジションだ。ところが実は、そんなゴローさん、以前誰かがコラムで書いていたのだが、先輩舟木さんからはドメスティックでかつ真面目な青春歌謡を引き継ぎ、後輩ヨッちゃんの行く末(ギタリスト)までをも見事に橋渡しした、という意味で、物凄く懐の深いアーティストだったのではないか、ということだ。演歌でのデビュー「博多みれん」、歌謡ポップスの出世作「青いリンゴ」から、「甘い生活」・「私鉄沿線」等のアダルト歌謡曲を経て、AOR路線(「むさし野詩人」「きらめき」など)を極めたかと思えば、いつの間にかギター片手にフュージョン系の作品(「女になって出直せよ」など)にまで展開していったゴローさんの音楽世界は、70年代の歌謡界の変遷そのもののような広がりがある。3番目の男ながら大きな存在感を残しているのは、類いまれな歌唱力や「カックラキン大放送」でバラエティまでこなした器用さだけではあるまい。その充実した音楽性にこそあったような気がする。
 野口五郎。こうして漢字で表記すると、もろ演歌歌手だけど、ゴロー、とかGOROとすれば、一挙にポップなイメージ。彼の音楽も、まさしくその通りだったような気がする。
 いうまでもなく、彼は筒美京平系の男性歌手の中で最も重要な歌手の一人であった。特に76年後半〜78年頃のシングル曲はアレンジも含めてほとんどの作品に筒美氏が関わっており、ゴロー自身に油が乗っていた時期とも重なって、密度の濃い作品が多いように思う。ちょっと聴き流すと、どれも同じように聴こえてしまうのが玉にキズなんだけど。
 つづく。