中森明菜「LIAR」

 俺は、正直、明菜ってちょっと苦手。彼女のボーカルはトルクが重いエンジンのように思える時がある。低音やピアニッシモでは、声がかすれて伸びがなかったり、くぐもって聞こえなかったり。逆に一旦エンジンがかかると抑えがきかなくなってほとんど「雄叫び」状態だったり。全編通してハマればいいんだけど(「DESIRE」は良い例)、そこに行き着くにはあまりにムラが有るし、振れが大き過ぎるような気がするのだ。もともとセルフプロデュースの能力は長けている人のようだし、その成果でもある楽曲への思い入れはかなりのものを感じるのだが、それが強すぎてどうも肝心な「表現」が後回しになっているように聴こえることが多い。(たとえば「難破船」とか...。)まあ、その明菜の「思い」のほうに共感できる人こそが、彼女の魅力の核の部分に触れることができるのであろうし、真のファンになれるのかもしれない、なんて思う。
 もしかするとこの人は、平岡正明氏曰く、出発が「聖子のアンチテーゼ」だったことから脱出しきれなかった部分があるのかもしれない。百恵の対極として成功した聖子の間逆、陰の部分(つまり、もろ百恵的要素)を背負わされる宿命、みたいな。自己演出に力を入れるからこそ、そんな世間一般の期待への反発があって、あえて「私は私よ」みたいな部分を出しすぎちゃう、みたいな。「アタシ、歌いたい歌を好きなように歌うわ。だからアタシを見て、聞いて!」と言わんばかりに。極端に言えば、リスナー無視の自己陶酔。それがゆえに、歌い手としては歌にどうしても勝ってしまうから、彼女の曲は「アキナ」というキャラクターからどうしても脱しきれない、つまり万人受けする流行歌にはなりきれない弱さを持っているのかもしれないな、と。確かにイイ曲も多いんだけど。
 前置きが長くなりました。「LIAR」。やたら緊張感のあるシンセとエキセントリックなピアノの乱れ打ち(!)から始まるこの曲は、89年、中森明菜が自殺未遂事件を起こす数ヶ月前に発売された、世間的にはやや印象の薄いシングルである。しかし−

「もう貴方だけに縛られないわ 蒼ざめた孤独選んでも
 次の朝は一人目覚める それが自由なのね」(作詞/白峰美津子)

なんて詞も妙に生々しかったし、冒頭のピアノにしても、目がイッちゃった明菜が髪振り乱して鍵盤を叩いている姿を思い浮かべてしまったりして、なぜか俺にとっては強く印象に残っている1曲だ。彼女の曲の中ではマイベスト、かも。
 それまでの曲に見られた過剰な自己演出は形を潜め、この「LIAR」では痛々しいほどに言葉が生きて届いてくる。明菜の、涙を飲みながら歌うような声も、それを助長させる。「それが自由なのね」なんて言っても、強がっている自分こそが「LIAR」。そんな自嘲的心情さえ伝わってくる。きっと当時の明菜自身の心情にシンクロし過ぎたこの曲によって、強い自意識は初めて昇華されて、彼女は無意識による心の表現へと開放されたのかもしれない。
 続く復帰第一作「Dear Friend」は、やたら明るく「フー!」だの言う明菜が逆に痛くて、また元の木阿弥だったんだけどね・・・。