太田裕美アルバム探訪④『思い出を置く 君を置く』

 今回は、80年6月発売『思い出を置く君を置く』。詩人サトウハチローの詩にすぎやまこういちが曲をつけ、弦楽オーケストラをバックに従えてクラシカルな雰囲気で統一された企画アルバム。同年のレコード大賞・企画賞を獲得。オリコン最高44位。サトウハチロー氏のノスタルジックで少し妖しげな独特の世界とクラシカルなサウンドが、他のアルバムとは一線を画す格調高い印象を与える。すぎやまこういち氏はクラシックの名曲を巧みにサンプリングしながら、サトウハチローの既成の詩にぴったりはまったメロディーをつけており、まさに名人芸の域。
 一方、裕美さんは、もともと声楽の素養を持つだけあって、オーケストラと調和した真摯で透明感のあるボーカルを聴かせてくれており、襟を正してデビュー当時に元還りしたような印象。オープニングの「嘆きのバラ」やラストのタイトル曲「思い出を置く君を置く」でのファルセットは全盛期に勝るとも劣らない美しさだ。喉を痛めてしまったりヒット曲に恵まれなかったりと、78年あたりから続いていた「不調」をここで一挙にリセットしているような感じさえする。
 しかし発売当時、最初にこのアルバムを聴いたときの印象は正直言って最悪だった。「まるでNHK幼児番組のサントラみたい...」。よく言えば「超優等生的」だが、悪く言えば「人畜無害」「聴いていて恥ずかしい」「つまらない」etc...。特に、普段なら裕美さんのチャームポイントでもある「ラ」行の舌足らずな発音が、この作品では完全にウイークポイントになっていて、一部の曲ではどうも子供っぽく気恥ずかしく聴こえてしまうのだ。それが、幼児番組ぽい印象を与える所以なのだと思う。また、この作品が発売された80年前半は、裕美さんにとって「南風〜SOUTH WIND」が久々のヒットとなった時期でもあり、ファンとしては当然「南風」をメインにしたポップアルバムを期待していたのだが、そこに突然この異色のアルバムが登場したわけで、それもこのアルバムの第一印象を悪くした理由なのである。
 さて、当時はまったく唐突と言う感じでリリースされたこの作品も、裕美さんの長いキャリアにおいては、その後発表した童謡アルバム『どんじゃらほい』(92年)や90年代後半以降の「子持ちミセスシンガー路線」への布石とも言え、今振り返れば彼女にとってひとつのターニング・ポイント的な作品であったと捉えて間違いないと思う。
 時代は移り、多様な価値観のもとで日本の音楽シーンはすっかり成熟し、一方では強度のストレス社会を迎え、音楽に癒しの力が求められるようになって久しい。すっかりオヤジになった俺にとって、今、この作品はヒーリングアイテムとして欠かせないものになっている。そんな意味でも、80年代初頭にこんなにも優しく、そして個性的なアルバムを作っていた裕美さんとスタッフ陣は、まさに時代の先取りをしていたと言えなくもない。
 機会あれば是非多くの人に聴いてほしい作品のひとつである。
 さて、この作品はアルバム通して一つの作品として聴くべきものだと思うが、中でも印象的な曲を最後にピックアップしておきたい。

  • 「嘆きのバラ」映画のサントラのような悲しげで静かなピアノイントロから始まるこの曲は、大正ロマンの佇まい。「赤〜いバ〜ラ〜♪」というフレーズで裏声に変わる瞬間、ヤッタ!と言う感じ。
  • 「モモンガー モモンガー」これこそ幼児向けソングの代表。でも裕美さんはニュアンスたっぷりの歌唱で、あくびをしたり「グーグー、スースー」と擬音を使ったり、楽しそうでもある。
  • 「少年の日の花」原曲はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。裕美さんのバヤイ、安田ショウコ・由紀サオリ姉妹がトルコ行進曲で見せたビックリスキャットのようにはいかず、無理矢理の早口言葉はかなりアブナゲ(笑)。でも、サビの多重録音による一人コーラスがことのほか美しく、そのギャップが楽しめる曲。
  • 「おぼえているかいあの春を・・・」俺の高校の合唱祭課題曲だ。(ウソだけど。そんな感じの曲)
  • 「キッスパレード」幼児向けのようでありながらオトナがニヤリとするサトウハチローの詩に、山本みき子(銀色夏生)のルーツを見る。ここにもその後の太田裕美の歴史の伏線があった。
  • 「思い出を置く 君を置く」原曲はモーツャルトの「アイネクライネナハトムジーク」。居住まい正した裕美さんの声はこれまでにないほど美しく、上品な室内楽を聴いている感じ。ベストテイク。