太田裕美アルバム探訪⑮『心が風邪をひいた日』

心が風邪をひいた日
 75年12月発売の3rdアルバム。アルバムチャート最高位は5位。代表曲「木綿のハンカチーフ」収録ということで、彼女のアルバムではセールス的に最も成功した作品。裕美さん本人もお気に入りだそう。
 デビューから鉄壁のスクラムを組んでいた筒美京平松本隆萩田光雄のトリオに加え、このアルバムでは松本人脈から起用された荒井由実(2曲)・佐藤健(1曲)が作曲に加わり、荒井由実作品のアレンジは林哲司が起用されている。それまでの古風で上品なサウンドイメージは踏襲しながらも、初めて新しい血が加わったことで、太田裕美の新たな展開が始まったことを感じさせる「過渡期」的作品。そのためかアルバム全体としての統一感はいま一つだが、それはアルバムとしてのトータルイメージよりも収録曲ひとつひとつのクオリティにこだわった結果とも思われ、いわばゴリ押しでトータルアルバムとしての体裁を整えた感のある1st・2ndアルバムに比較して、格段に「はじけた」曲「強い」曲が増えているのは事実。個人的には、玉石混交のイメージが強いように思うのだが。
 全12曲収録で、作詞は裕美さん本人の1曲を除き全曲松本隆。作曲は荒井由実(2曲)、萩田光雄太田裕美佐藤健(各1曲)、残り7曲を筒美京平。アレンジは林哲司の2曲以外は萩田光雄が担当。

  • 木綿のハンカチーフ」。いうまでもないエバーグリーンな名曲。アルバム発売の20日後にリアレンジ・一部の歌詞を変更してシングルカットされ、オリコン最高位2位、87万枚の売上を記録した。シングルバージョンに比べ、この元バージョンのサウンドはよりシンプルで爽やかな感じ。ボーカルもストレートだ。「恋人よ」のフレーズを「こ・い・び・と・よ」とスタッカート気味に歌っているのが新鮮。俺は初めてこの曲をラジオで聞いて「ボクは旅立つ〜」のファルセットを聴いたとき、背中に電流が走ったような衝撃を受けた。それが裕美さんとの出会いでもあった。
  • 袋小路」。詞:松本、曲:荒井。いかにも初期ユーミンらしい瑞々しいメロディーを持った、マイナーバラード。歌謡曲調の「どマイナーな」曲でもベッタリ感がないところがユーミンの凄いところだが、それが裕美さんの声にはよく合っている気がする。詞は「ビルの狭間」「アイビー」「タワー」「レモンスカッシュ」などのキイワードをモザイク的に散りばめ、都会の若者たちの別れのシーンをぼんやりと浮かび上がらせていく手法で、饒舌な詞を書く松本氏には珍しい味わい。79年のアルバム『Little Concert』にも再録された人気曲。
  • 夕焼け」。75年8月発売のサード・シングル。ノスタルジックなメロディーや、マイナーの前半からサビでメジャーに展開するあたり、のちの「赤いハイヒール」の雛型とも言え、最高位37位の地味なシングルながら裕美さんらしさに溢れた1曲。またこの曲の2番の詞で描かれる田舎駅での恋人たちのくだりはのちの聖子「赤いスイートピー」、斉藤由貴「情熱」へと繋がる松本さんお気に入りのシチュエーションであり、その原型といえる。
  • かなしみ葉書」。1st・2ndアルバムのイメージに近い70年代歌謡曲風のしっとりとしたマイナーポップス。この曲のようにマイナー歌謡を美しいファルセットやダビングによるセルフ・コーラスなどで上品に仕上げる作風は、この後の裕美さんのアルバム作品でも散発的に見られ(「冬の蜂」「街の雪」など)、細々とだが裕美さんの一つの路線として残ることになる。
  • THE MILKY WAY EXPRESS」。ここで9曲目「銀河急行〜」がサビのみ、短く挿入される。重い曲が続くアルバム中間部のアクセントづけの意味あいと、アルバムとしての統一感を図る意図だろう。
  • 七つの願いごと」。萩田光雄作曲のマイナー・バラード。4月の出会いから10月の別れまでを綴った短編詩。短いコーラスが7回重ねられるなかで、最初はピアノだけの伴奏から次第にたくさんの楽器が加わってドラマチックに曲が展開していき、裕美さんのボーカルも次第に感情が盛り上がっていく構成。ちょっと「力技」の感も否めないが、前半のハイライト曲には違いない力作。
  • ひぐらし」。軽快なピアノのバッキングから始まるカントリー・ポップス。荒井由実作曲。前曲に続いて余り展開がなく短いコーラスが繰り返される単調な曲ながら、気軽な旅を題材にした詞と乾いたサウンドとがマッチして、ロードムービーを見ているような爽やかな作品に仕上がっている。ニュー・ミュージックシンガー太田裕美の誕生を感じさせる名曲。
  • 水曜日の約束」。シングル「夕焼け」のB面に収録された曲。マイナー歌謡路線。地味な作品だが、コーラスの最後の方で、おそらく裕美さんぎりぎりの最高音ファルセットが聴けるのが貴重な1曲。
  • 銀河急行に乗って」。筒美作品。アップテンポな完成度の高いポップス。女声コーラスとの掛け合い&プラスで躍動感溢れるサウンドが楽しい佳曲。グウィーンとサイレンのように上昇するシンセのスライド音はエルトン・ジョンの「Rocket Man」みたいで「スペースつながり」か。最後のラララ〜という裕美さんの気持ちいいコーラスでF.O.するところも、いい。
  • 水車(みずぐるま)」。太田さん自作曲。初期の山口百恵みたいなドメスティックなイントロから始まるマイナー歌謡、演歌調。「銀河急行〜」との激しい落差があって、この辺がこのアルバムの持つ強み(ダイナミックレンジ)であり、弱み(統一感のなさ)でもある。
  • 青春のしおり」。佐藤健作曲。マイナー系のポップスだが、イントロのピアノからして萩田氏のきらりとしたアレンジセンスが冴える名曲。CSNYとかウッドストックとか、狙いすぎなくらいのキイワードを使ってかつての青春像をイメージ付ける松本氏だが、ここは素直にその手腕に身を委ね、甘酸っぱい思いに浸るのが正解だ。アルバムタイトル「心が風をひいた日」がこの曲のフレーズに出てくることからも、スタッフサイドでもアルバム内の中心曲として位置付けているのだろう。
  • わかれ道」。ラストはアンコールソング的なマイナーのボサノバ。ギターとフルートが印象的なしゃれたアレンジで、裕美さんもウィスパーヴォイスに近い、軽めのボーカル。3分に満たない小品だが、アンニュイな感じがアルバムラスト曲としてなかなか良いアクセントになっている。

 このアルバム、初期の裕美さん特有の透明感のあるファルセット、表情豊かなボーカルが全編にわたって堪能できる素晴らしいボーカル作品であることも付け加えておきたいところだ。