隣の真理ちゃんの偉大な功績

GOLDEN☆BEST/天地真理 コンプリート・シングル・コレクション・アンド・モア
 天地真理さんの人気がピークだったころ、俺はまだ小学生の低学年だったので、まだあまり芸能界には興味が無かった。それゆえ当時の彼女の人気がどれほど凄かったか、ということを思い出そうとしても、ゴールデンタイムに看板番組を持っていたことや、車体に彼女の顔がペイントされた「マリちゃん自転車(!)」などを微かに思い出す程度で、実感としてはあまり記憶にないのである。だから幸いにして、近年、正視に堪えない姿へと変貌(退化?)した真理さんをたまにテレビで見かけても、心が掻き乱されることもなかったりする(笑)。
 しかし、歌謡曲・アイドル好きの一人としては、70年代の音楽シーンを紐解けば必ず、ピンク・レディー登場前の連続チャート1位記録保持者として名前の挙がる真理さん、その存在の偉大さにはやはり一目置かざるを得ないのだ。当時は同時期に活躍していたアイドル、南沙織さん・ルミ子さんと一緒に「三人娘」的な扱いだったけれども、その中でもチャート上ではダントツの成績を残していた真理さん。その一方で、ピーク後のシボミ具合もダントツだったがゆえに、どうも俺だけに限らず、世間での真理さんの評価は決して高くはないようである。
 そんな真理さんの曲を今回、改めて聴き直してみようと思った。一時はトップに上り詰めながら、一気にフェードアウトしていった真理さんのその足跡を、(一足遅れのマリちゃん世代として)追体験してみたいと思ったのである。
 上品なカレッジ・フォーク調のデビュー曲「水色の恋」、ハマクラ作品にして初のチャートトップに立った珠玉のポップス「ちいさな恋」。透明感のあるファルセット唱法はなるほど今聴くと実に新鮮で、ここまでは真理さん、実は森山良子フォロワーだったのかもね。そして3作目「ひとりじゃないの」(作曲:森田公一)で天下無敵のアイドル路線を確立して大ヒット。しかしたぶん、ここからがいけなかったのね。その後「虹をわたって(1位)」「若葉のささやき(1位)」「恋する夏の日(1位)」と大ヒットは続くものの、森田作品特有の人畜無害で中庸なポップスの連続リリースは正直、新たな展開を何も感じられない退屈な代物で、明らかにスタッフは「真理ちゃんブーム」にあぐらをかいていた、としか思えないのよね。真理さんの歌唱も平凡でノッてない感じ。案の定、第8弾シングル「空いっぱいの幸せ(3位)」からは坂を転げ落ちるように売上が落ちていくことになる。売上が下降線を辿る中、唯一、気を吐いた傑作「想い出のセレナーデ(4位)」を契機にマイナー路線のオトナっぽい歌に取り組むものの、これが逆効果で、かえって輪をかけて地味な印象を加えることに。続く「木枯らしの舗道」からは一気にトップテン圏外へ。
 すでに時代の主役は百恵・ジュンコに取って代わられ、岩崎宏美もデビューして、すでに真理さんの出番はなかったのかもね。
 しかし、ここからの真理さんが実はしぶとかったのです。
 デビュー5年目の75年、15作目の「さよならこんにちわ」から立て続けに3枚の筒美京平作品をリリース、それがなんとも素晴らしい作品群なのね。アップテンポの軽快なポップス「さよならこんにちわ」、ゆったりとしたフォーク調の「夕陽のスケッチ」(これはコアな筒美ファンにオススメ)、どことなく西田佐知子風な「矢車草」と、全く傾向の違う筒美ポップスを、時に軽やかに、時に温かく美しいファルセットを駆使して実に見事に歌いこなす真理さんがいるのです。最高位はそれぞれ36位、58位、50位、売上枚数では2~3万枚と地味な成績だったのだけど、「見えなくなってからの真理さん」こそ偉大な存在だったのかもしれない、いま作品を聴き直してみるとそう思うのよね。その後も弾厚作こと加山若大将が作曲した「愛の渚」(「君といつまでも」のアンサーソングらしい)、まんま芹洋子(四季の歌)ばりの「夢ほのぼの」、洒落たシャンソン曲「初恋のニコラ」、網倉一也作品「私が雪だった日」と、83年まで断続的にリリースされたシングル曲の出来はバラエティに富んだ上にどれも素晴らしくて、円熟した第一級のエンターテインメント作品と言ってもいいくらい。
 思うに、天地真理の不幸というのは、アイドルの先駆者であったこと、そこに集約されてしまうのかもしれないね。彗星のごとく現れて一世を風靡し、やがて飽きられ消えていく。そのライフサイクルを最初に象徴的な形で体現したのが彼女であり、アイドル「偶像=あやつり人形」を無自覚なままに初めて体現したのが彼女(天地真理)だったのよね、たぶん。
 ふと気付けば、すっかり消費されつくして過去の人になっちゃってたワタシ。そんなだから真理さん、キレちゃったのかしらね。第一線を退いた77年以降は体調も崩したりしたらしくて、その都度再起をかけてぽつぽつとリリースした後期の円熟した作品群は、そういえばどことなく「鬼気迫る」印象も、なくはないかも。そして何を血迷ったのか(ヤケになっちゃったのか)、その後はヌード写真集出版(84年)、にっかつ映画に主演(85年)と、ここでも落ち目アイドルの王道を進むことになっちゃうのよね。そして現在に至るわけで・・・(涙)。
 皆さん、そんな真理さんですが、消費型アイドルのパイオニアとしての彼女の偉大な功績を、どうか今一度正当に評価してあげようではありませんか!