八神純子「思い出は美しすぎて」

思い出は美しすぎて
 この人を「アイドル」と呼んでいいのかわからないけれど。ほぼ同期にメジャー・デビューした渡辺真知子さんと同様、ザ・ベストテンには毎週のように登場して司会の久米さんにイジラレまくってたところや、デビュー当時のテディ・ベアのような愛らしいルックスなどからして、印象としては限りなく「アイドル」に近かったかも。真知子さんみたいに年末の賞レースに名乗り出なかったことだけが、彼女なりの「アーティストとしての矜持」だったのかしら。(紅白には出たけどね(苦笑))
 1974年にヤマハのポピュラー・ソング・コンテスト(ポプコン)に出場して自作曲「雨の日のひとりごと」で優秀曲賞獲得。その後、1978年に晴れてメジャー・デビューとなり、時代はニュー・ミュージック・ブームだったこともあって、デビュー曲「思い出は美しすぎて」がオリコン最高位25位のスマッシュ・ヒット。
 「思い出は美しすぎて」はイントロのサンタナ風ギターが印象的な、アンニュイなムード満点のボッサ・サウンドの名曲で、当時中学生だった俺は、この曲に漂うオシャレでオトナっぽい雰囲気にシビレっぱなしでした。いま聴いて思うのだけど、純子さんのボーカルは透明感があって伸びやかではあるのだけど、高音のファルセットにどこかエキセントリックさというか、「オンナの情念」のようなものが見え隠れしているような気がして、そのあたりが中学生のオトコのコ(いちおうね)にとっては、何だかドキドキするものを感じさせられたのかもね。
 続くセカンド「さよならの言葉」はゆったりとしたテンポのメジャーキイのワルツで、純子さんの爽やかなファルセットを生かしたキュートな小品という感じなのだけど、これこそ初期の彼女の愛らしいルックスにぴったりな、彼女のキャリアの中でも最もアイドルチックな作品。チャートでは最高67位とコケちゃったのだけど、こちらもhiroc-fontana、お気に入りの作品。ただしこちらは純子さんの自作曲ではなくて、小野香代子という人の作品だったりして、八神さんは自作曲ばかりでなくて後藤次利とか山川恵津子とか原田真二とか、意外に他者からの提供曲もこだわり無く歌っている人なのよね。当時ザ・ベストテンの出演でも垣間見せていた、ご本人の飾り気の無いキャラや柔軟性がその辺りにも表れているようで、自作にこだわる「アーティストさま」たちとは違ってとても好感が持てるところ。
 デビュー第3弾「みずいろの雨」(78年9月)が大ヒットして一躍メジャー・シーンに躍り出ることになるのだけど、その後も、ラテン・パーカッションと本人のダブル・レコーディングによる扇情的サビが印象的な佳曲「想い出のスクリーン」、空を突き抜けるようなメロディが素晴らしい「ポーラー・スター」、レイ・ケネディ「ロンリーガイ」を翻案したNY賛歌「パープル・タウン」、ついに地球を出て宇宙まで行っちゃった「Mr.ブルー」と、印象的なトップテンヒットを80年いっぱいまで連続で放っていくことになる。
 純子さんのサウンドの魅力は、当時最先端のAORサウンドを積極的に取り入れていたことと、キャッチーかつ縦横無尽に五線紙を駆け巡るセンス溢れるメロディー、それを完璧に歌いこなす彼女の卓越したボーカルテクニックと天賦の美しい声、この三点が揃っていたことだと思うのね。
 その意味では、太田裕美ファンの俺にとっては、1978年頃から急激に勢いを失っていった裕美さんのお株を完全に奪ったのが八神純子さんかもしれないな、などと思えて仕方がないのだ。美しいファルセット、高い音楽性、トランジスタ・グラマーでありながら本人は飾らないキャラクターの持ち主であることなど、両者の共通点は意外なほど多い。類似したイメージでありながら、それをよりシステマチックに、より鮮烈なイメージで表現し得たのは太田裕美さんではなく、八神純子さんだったのは間違いないように思う。あの当時、太田裕美ファンから八神純子ファンに鞍替えした人、結構多かったのではないのかな?などと推測するのだけど、どうかしらね?
 それはさておき。いまはカリフォルニア在住の八神さん。「ナツメロ喫茶店」さんでも紹介されているとおり、シングルBOXセットが近日発売とのこと。
 日本での活動再開も、あるのかしらね。