アキナは洋楽〜「I MISSED“THE SHOCK”」

I MISSED“THE SHOCK”
 前回聖子さんのシリーズ化を宣言しておきながら、意表を衝いて(笑)今回は久しぶりの明菜です。
 「I MISSED “THE SHOCK”」は1988年11月発売、アキナの22枚目のシングル。作詞作曲:QUMIKO FUCCI、編曲:EUROX。当時からこのナゾのタイトル、巷の話題でしたけども、シングルコレクションの解説などによると明菜自身「日本語では訳せない」と歌番組などでも言い切っていたようで、あらら実は本人もわからなかったんだ〜!みたいな。
 そんな明菜の歌ってやっぱり、洋楽なんだよな〜、て思う。
 それは、彼女自身が自分の歌を「歌謡曲」の中にありながらも「サウンド」としてバック・ミュージック(カラオケね)に溶け込ませようと常に試みてきた姿勢もさることながら(あのボソボソと小声で歌う独特の唱法もそのひとつとされる)、歌詞の意味そのものをアレンジやメロディーといったサウンドイメージと一体化させて“雰囲気”として伝えることに重点を置いていたのかもしれないと、そんな気がするのだ。ひとつひとつの単語の持つ意味が構築する「リアリティー」ではなくて、その瞬間の雰囲気・空気を再現することによって伝える「リアリティー」みたいなね。この意味、わかるかしら。
 例えば洋楽を聴く場合に日本人としては歌詞カードを目で追うことで初めてその歌のストーリーがはっきりとわかる。けれども必ずしも歌詞カードを見ずとも、その曲の雰囲気やアレンジやボーカルの陰影で、不思議に何となくその曲の世界は伝わってきたりすることも多い。それと同じことが明菜の曲には多いような気がするのだ。
 この「I MISSED “THE SHOCK”」はまさにそんな1曲。相変わらずアキナが低音でボソボソと歌うオープニングのAメロの歌詞はイマイチ聞き取りづらいし、肝心なサビで繰り返される「I MISSED “THE SHOCK”」は、ハナから意味不明で。。。しかし、EUROXアレンジによるユーロ・テクノ系のセンチメンタルなイントロメロディーからボソボソと独り言のようにつぶやくAメロを経てサビへと突入し、目眩のように繰り返される「I MISSED “THE SHOCK”」へと至るまでのその切迫感は、雨の日の暗い部屋で精神的に追い詰められ心が崩壊していく主人公の女性の心理状態を見事なまでに伝えてくる気がするのだ。
 歌詞カードの言葉そのものでというより、サウンド全体の中での声の表情で歌の世界を伝える。だからこの曲のタイトルが日本語で訳せなくても明菜には関係ないのだ。
 呆然。
 ひとことで言えば「I MISSED “THE SHOCK”」の歌の世界はそんな感じ、なのだろう。彼に裏切られ、その状態(ショックさえ通り越して、ただただ呆然・・・)になった主人公の女性。それがリアルな空気として再現されればいいということ。
 これぞアキナの真骨頂、なのかもね。
 さて、明菜が洋楽的と言う意味では、都会的でクールなシンセによるイントロのメロディーが歌以上に印象的だった「SOLITUDE」とか、レトロな拍子木のコン・コンという音がモノクロスパイ映画さながらのカッコ良さを演出していた「fin」だとか、彼女の場合たとえ地味な曲でも饒舌なアレンジで曲の地味さを帳消しにしてしまうほどにカッコいいサウンドに彩られた曲が少なくなくて、その辺も「編曲は伴奏」という域から脱却出来なかった「歌謡曲」からは一線を画す、洋楽的なセンスが光っていたように思う。もちろん、「I MISSED “THE SHOCK”」もそんな曲のひとつ。(ちょっとだけ、フリートウッド・マックの「Big Love」に似てるけどね 苦笑。)