「思い出さないで」岩崎宏美

 久しぶりの70年代アイドル、岩崎ヒロリン姐さんです。
 岩崎姐さんの凄いところは、出す曲出す曲大ヒットという、トップアイドルとしての全盛期を経験しながら、大きなつまづきもなくいつの間にスルっとアダルト・シンガーに脱皮して、デビュー後35年を超えた今もちゃんとベテランシンガーとしての“現役感”を漂わせているところ。
 もちろん演歌のスターたちや、「永遠のアイドル」のアイコンとしてのヒロミ・ゴーや聖子たんら、現役“長命シンガー”は数多いけれど、宏美姐さんの場合は何と言っても誰もが認める「圧倒的な歌唱力」、すなわち代わる存在の居ない“オンリーワン”シンガーとしての存在感によってここまで生き残っているような気がして、そこがすごいわ、と。ポップ・シンガーとしての華やかさを残しながら、キャリアを積んだ人ならではの重厚感も併せ持ってる感じ、そこね。あくまでもアイドルの「アイコン」としてのヒロミや聖子たんにはない、存在感の重さかしらね。
 岩崎姐さんのキャリアの特徴は、初期の大ヒット連発期を過ぎて、一時トップテンから遠ざかっても散発的ながら何年か置きにちゃんとトップテンに戻って来るという“飛び石大ヒット”がある点で、同じような人にはヒロミ・ゴーはじめ、小柳ルミ子姐さんとか工藤静香姐さんとか、息の長い歌手活動をしている人が多いわね(あと、なぜか“姐さん系”が多いわね。笑)
 さて、いつもながら前置きが長くなってしまったけれど、「思い出さないで」は岩崎宏美さんのデビュー8年目の起死回生とも言える大ヒット「聖母たちのララバイ」の次に発表された29枚目のシングル。1983年9月21日発売。作詞作曲は故・中山大三郎氏。
 この曲、とても素直なメロディーの綺麗なバラードなのだけど、“マドンナ”のあとの作品としてはあまりにおとなし過ぎて、発売当時は「なんで?」って拍子抜けしたのを覚えてる。サビのメロディーがアベ静江さんの「みずいろの手紙」と同じだったこともあってね。なんだか引っかかりなくス〜と耳を通り抜けてしまう感じで。実はこの曲、1979年のアルバム『恋人たち』収録曲の再録、おまけに元は中山千夏のカバーだったりするのだ。ちなみにウィキには「当時岩崎担当のディレクターであった飯田久彦が入院療養中に、「この曲を聴いてとても心が休まった」と言うのを聞いてシングル・カットを決意した、と岩崎本人が語っていた。」とあり、大ヒットを受けて姐さんがディレクターに粋な計らいをした1曲、ということらしい。30周年BOXのご本人による解説によると、宏美姐さんのお父さんが「良い曲だ」と初めて褒めてくれた曲でもあるらしく、どちらかと言えば「内輪受け」の曲だったのかもな、と。
 結果、最高位18位・売上げ枚数8万枚は、なんとマドンナの10分の1(涙)。
 宏美姐さんの場合、「万華鏡(79年)」(最高位10位)のあと「スローな愛がいいわ」(18位)、「すみれ色の涙(81年)」(6位)の次は「れんげ草の恋」(19位)、「家路(83年)」(4位)の次作「20の恋」(41位!)と、せっかくの“飛び石大ヒット”の次の作品がことごとく惨敗するジンクスがあって、その中でも激しかったのはこの「思い出さないで」だった、というハナシ。まあ、エピソードを知れば、スタッフに大ヒットの感謝を表した“姐御肌”ヒロリンの性格が良く現れた曲なのかも、なんて思うのね。潔さとでも言うかな。
 まあ、なんやかんや言って、今聴くと本当に心に沁みる、良い曲なんですけどね。あ、これはひょっとして単に俺がオヤジになったからかも?ヒロリンのお父さんや飯田久彦と同じセンスになったのね、きっと(苦笑)。

 ところで岩崎宏美姐さん、東京フォーラムレベルの会場を単独コンサートで満員にし、カバーアルバムを出せば必ずアルバムチャートにチャートインし、チェコフィルと共演したり、八神純子らとユニットを組んだりで、今も安定した人気を誇る一方で音楽活動も精力的に行なっているのに、どこか「日本で最も巧い歌手のひとり」という固定イメージが地味な方向に逆作用して、“ああ、そうなの。”ふうに(笑)一般的にはスルーされがちなのが残念な気がするのよね。
 由紀さおりさん並みのブレイクスルーが宏美姐さんにも訪れてくれることを期待してます。ファンの一人として。